勉強中のテーマから一つ。
人間は他者から役割を演じることを期待されています。
家族から「母親」という役割を演じることを期待されたり、会社から「社長」という役割を演じることを期待されます。
これを「役割期待」といいます。
人は社会で生きていく中で周囲からその立場にあるべき姿やふさわしい行動が期待されるということです。
子どもなら「子どもらしく外で元気に遊ぶ」とか。
役割期待を受け入れそのように行動することを役割取得といいます。
老人が老人であるという役割期待を受け入れることで老人が出来上がります。
つまり老人は社会的に作られるのです。
子供がごっこ遊びによってお医者さんや電車の運転手などの役割りを演じることは役割取得に重要です。
役割期待に従って役割を演じていても、人は完全に期待通りに行動しませんよね。
ちょっと距離を置いてズレた行動をとることがあります。
例えば子どもなら遊びながらふざけてみたり、老人なら元気そうに振舞ってジョギングするとか、ですね。
これを役割距離といいます。つまり期待されている役割から距離をとって期待どおりに役割を演じない、これが役割距離です。
【私の考え】
素直でない、とかだけでなく、自信がない、あるいは、自分の役割期待はもっと別であってほしいというギャップがあるケースなど、いろんなことで人は役割距離を行います。
ただ、この役割距離、プラスのエネルギーになるならいいのですが、結構な割合であるのが、組織で「勝手に腐っている」という状態です。拗ねている自分を見てほしい、ということで役割距離を作っています。非行少年と同じ心理です。
プロ(ここでは一流俳優)なら期待役割を演じながら、自分の期待を伸ばしてくのが極めて社会合理的・整合的です。そういうふうに鳥の目で自分の立ち位置を見た時、「自分の役割期待」を演じているか、常に意識をすると自分を客観視できます。
ちなみに、これ、仕事中は無理です。目の前のことに必死になっているから。休みの時に瞑想するようなイメージで自分をもう一人の自分が空から眺めてみて最近の自分の動きを見つめてみてください。最初は上手くいきませんが、できるようになりますので継続努力してみてください。
勝手に邪魔者扱いの老人演じていませんか?勝手に利用者様に評価されない介護職員演じていませんか?