大阪府柏原市、かつて奈良大阪の要衝にあった亀の瀬という場所で痛ましい地滑りが昭和初期に発生しました。その対策工事の中で発見された旧大阪鉄道のトンネルが今、観光スポットになっていて、そこでプロジェクション・マッピング(要はトンネルの構造を活用し映像を流す芸術作品)をやっているということで、「大阪知らんとこまだあるシリーズ」でツアーズで行ってきました。もちろん、ほとんど車椅子で!
迫力ある芸術作品と同時に昭和から地滑り対策を施す人間の叡智、それでも日本の各地で毎年起こる地滑りに心を馳せる貴重な時間となりました。勉強になる「非日常」の旅、これもいいもんです。
◆歴史経緯
1931年(昭和6年)11月27日に亀の瀬渓谷北側において斜面に亀裂が発生、亀裂は徐々に拡大し、最終的には大規模な地すべりとなった。これに伴い1932年(昭和7年)初頭には関西本線の亀ノ瀬トンネル内部や付近の路盤が変形、2月に運行を中止、4月にはトンネルは完全に崩壊したためこの区間は徒歩連絡とせざるを得なくなった[1]。関西本線は7月に該当区間を放棄した上で橋(第四大和川橋梁)で大和川を越えて南岸の地すべりの影響のない位置にトンネルを掘って迂回するルート切り替え工事が開始され、12月31日に開通している。また、すべり面の最低位置にあたる大和川の川床が合計約36mほど隆起して流路をせき止めたため、同年7月には上流の王寺町内約200haが浸水した。
1951年(昭和26年)に清水谷地区南部の約3haで地すべりが発生し、この地区は8年後の1959年(昭和34年)に地すべり防止区域に指定された。
1967年(昭和42年)の地すべりでは、2月から7月の5ヶ月間に及び、川床が1mほど隆起し、対岸の国道も1.3mほど隆起した。地すべり地域は最終的には53haに及んだ。
それ以降は対策事業もあり、目に見える規模の地滑りは発生しなくなっている。