「モチベーション、下がるわー」なんて言葉を聞きます。
私はハッとします。その言葉の要因には、2つのパターンがあるのでは、と思います。
1、モチベーションの意味を理解していない、単なる言葉遣いの問題
2、モチベーションという存在の取り扱いを理解していない、という問題
1、は正しく理解すればいいでしょう。2、は相当厄介です。
モチベーションとは「動機づけ」です。単なる動機づけです。きっかけであり、そこから走り出すのは自分の力です。ゴールを掴むのも自分次第です。
したがって、その文脈から言えば、モチベーションも厳密には時間軸で二分割されるかもしれません。
最初のステージはきっかけです。「何かをしたい」という内発的な沸々と湧き上がる気持ち、素敵な人など外部からの刺激、など内部・外部の環境が自身に作用するものかもしれません。
だから、環境にこだわれ、一流の場所に自分の身を置くべき、というのはそういうことでしょう。プロ野球の一流選手がメジャーを目指すのもそうだと思います。
次のステージは、自分が目指すものに向かい走る場面です。ゴールを掴むかどうかです。そのプロセスに多大な苦難と苦労、同時に工夫と努力が必要なことは言うまでもありません。
場合によっては自分の適性や能力などに照らし合わせ、ゴールを変更するのも立派なプロセスであり工夫です。やったから分かったこともあるでしょう。
この後者のステージの成功要素は100%自分です。これを親、家の環境、学歴、職場、周囲の人間など、一見自分にとってAgainstなものを理由にしているのが「モチベーション、下がるわー」と言う言葉に現れます。日本が裕福になって長くなり、成功しない、できない理由の主要因を外部に求める傾向があると思っています。なぜか?そうすることで今の(やっていない)自分を正当化できるからです。人間の防衛本能にかないます。でも、それがそのままで幸せか?
モチベーションは自分で作りましょう。きっかけ作り、そこからゴールへの努力、自分でやりましょう。決して与えられるものではない、と思います。自分で掴むもの、あるいは、作るものです。
一流の人の話を聞きに行く、それもモチベーション作りです。
なんでも「やってみたら意外に面白かった」「食べたら意外に美味しかった」「話したら意外にいい人だった」ってあるでしょう。それはモチベーションを作り、行動した結果です。
モチベが上がるのを待っている人。おそらく一生、本当の意味での幸せは掴めません。モチベを掴む行動をしてください。