グローバルからグローカルへの転身・挑戦
株式会社ハートフルサンク
代表取締役
森山 和哉
この度は私の紹介リンクをご覧頂いたこと、大変光栄に存じます。私は大学法学部をなんとか卒業こそしましたが、学生当時は体育会に没頭し勉強は最底辺と自負できるアカデミック劣等生でした。リーガルマインドどころか法の社会的役割・機能を何も理解できないままでした。
さて、卒業後は22年の「普通じゃない」銀行員、その後は地元の堺市に戻り3年を福祉事業経営者というキャリアを過ごしています。それを振り返り、今、様々な経験が活きる形で「人生の二毛作作戦」を大いに楽しんでいる話をしたいと思います。日経の「私の履歴書」のような気分になっています(笑)。
就職活動では、自分の人間性(というよりキャラ)を活かせる仕事、ということで、あまり私のようなイケイケなタイプが少ないため組織で「目立てるぞ」という作戦ぐらいで東京三菱銀行(現 三菱UFJ銀行)に入行しました。勉強もしていないため金融志望等の特定理由はなく「こだわり」も無かった、これが奏功しました。入行後は若造が中小企業取引先の経営陣に深く携わり、同社の資金繰りは勿論のこと、財務戦略や業務・成長戦略など深く且つ幅広く、時には社員も知らないことを社長と飲みながら議論しつつ、内部的には様々な勉強は無論、銀行内専門部署の知見を結集し提案しながら上司を巻き込み意思決定を進めるダイナミズムに嵌りました。投資(融資)→事業→成長を社長と二人三脚で出来る仕事に(銀行に一切期待して無かった私だからこそ)物凄い面白さを感じました。大半は無難志向の銀行マンの中で、経営者の期待に応え、「自分がこの企業を成長させ、社長を男にする!」という気概で法人業務に24時間邁進しました(ドラマ半沢直樹の伊勢島ホテルもそうです笑)。この時、業務に融資、不動産、企業買収など経営ノウハウをたくさん勉強できました。なにより、社長の「器」を学べたと思います。
その後は5年目で香港支店に異動しました。2000年代初頭の中国の急速な二桁成長を支える外国投資のゲートウェイとなった資本主義・香港でトヨタ、ホンダなど「日系」企業の中国進出といった国策投資など物凄いダイナミズムとスピードで6年間はあっと言う間でした。急成長の一方で中華民族の家族繋がりを重んじる文化にも感化されました。その後も本部を経て、今度はシンガポールに行き、アジア・オセアニア地域の「非日系」企業、すなわち外国企業の担当統括課長を6年やりました。この時のチームは17カ国の出身者で構成される、まさに「多国籍」でした。このマネジメントを通じ、人種・文化の多様性受容の重要性を痛感し、人生観が抜本的に変わったと思います。だれも日本の常識、仕事の進め方など知らないしやらないし、かつ、それはグローバルには意味がないことですから。
さて、シンガポールから帰国し、銀行で「やりきった」感があった中、地元で看護師からケアマネージャーに転身し介護福祉事業を起業していた母の背中を見る機会がありました。その事業が地元で愛され相応の規模になったため、母の年齢に鑑み今後の経営の話が出た時に、自分から名乗り出ました。運命だったと思います。
今は高齢・障害者・児を対象に医療も含めた総合的なサービス展開を大阪府南部で行っています。母の創業理念であった「家で過ごすのが一番」という在宅主義を継承し、通常の介護保険プランに旅行や地域の仕事などを組み合わせ、楽しく充実したシニア生活の深化を追求しています。また、海外で学んだことがすごく活きています。単一民族で同一性に価値を求める日本にとって、今後の社会では高齢者、障害者や外国人含め「多様性」受入の重要性や、核家族化が進んだ現代社会でこそ「家族の繋がり」の必要性を軸に社員を鼓舞しています。同時に経営者は様々な契約やそのトラブル含めた対応を日常茶飯事とします。さまざまな知識とマインドが物凄く要求されます。大学卒業後、約25年経過した今、社会人の様々な「山」「谷」(天国も地獄も!?)の経験をトコトン積んできたことを感謝する日々です。必ずや、この大阪で恩返し出来る時を目指して二毛作目の人生を精進していきます。
◆話し手:
森山和哉
社会福祉士、介護福祉士、精神保健福祉士
障害相談支援専門員
株式会社ハートフルサンク 代表取締役
非営利活動法人 日本健康長寿会エクセレントケア 理事長
エステート・スマイル株式会社 代表取締役
阪大法卒、東京三菱銀行(現 三菱UFJ銀行)で22年、半分を海外で勤務。海外で高齢者がイキイキとしている社会と日本の格差に愕然とする。3年前に現職。福祉サービス整備や幸せホルモンの研究など通じ、ニッポン確立立役者のシニアがど真ん中を闊歩できる社会を目指す。あわせ、現在、ライフワークとして京大院にて「おもてなし」を研究中。
◆話し手直近の「自己アピール紹介研修動画」(当社で社員に順次実施中):
注)ここで使用する「アホ」という言葉は関西地区及び弊社では自己肯定感を裏付ける自己謙譲ワードです。
「もっと自分らしく生きたい」そんな思い大切に…
株式会社ハートフルサンク
社長執行役員
泉谷 千晶
ハートフルサンク
社長執行役員の挨拶
平素は格別のご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。
今般、介護や福祉を取り巻く環境は、ニーズの多様化が進み、さらに重要性を増し続けると考えております。
地域の方々とともに発展していけるよう尽力し、社会貢献を目指してしてお役に立てればと考えております。
さて、冒頭にありました自身の紹介ですが、私が福祉の道へ進んだのは数十年前、介護保険制度が開始した頃でしょうか。
きっかけは下の子供が年長になり少し時間に余裕ができた頃、近所のママ友さんから
「ホームヘルパーをしてみないか?」とのお誘いを受け、介護ヘルパーの資格を取得して働き始めたのがきっかけでした。
以来福祉の道を歩み続けています。
入社した当時は、サービス提供責任者としての配属でした。
サポートを通じて高齢者の方、障がい者の方と関わらせていただく中で地域での生活のしづらさがひしひしと伝わってくることが多々あります。
例えば、ひとり暮らしの高齢者や 障がい者、高齢夫婦のみ世帯の増加による家族内機能の低下や地域連帯感の希薄化によるコミュニケーションの脆弱化で孤独感を抱くなど。また、障がい者雇用では合理的配慮という言葉だけが一人歩きしている現状など課題は多岐に渡ります。
一番は、
「もっと自分らしく生きたい」そんなお声をたくさん聴くようになり何か少しでもご尽力できることはないかと考えるようになったことも私のやりがいにつながったと確信しています。
そのようなお客様の大切なお声をハートフルサンクがチーム一丸となって寄与できたらと考えております。
最後に、今の私の成長動機へと導いて下さったママさんに感謝しつつご挨拶とさせていただきます。
職員の皆様が気持ちよく業務に携わってもらえるよう環境を整えます!
株式会社ハートフルサンク
常務執行役員
工位 綾
ご挨拶)
ハートフルサンク常務執行役員の工位です。
現在、本社カンパニー・デイサービスカンパニー社長を兼務させてもらっています。
執行役員として意識しているところは、ありきたりではありますが「職員の皆さんが気持ちよく業務に携わってもらえるように環境を整える」ことです。
まだまだ足りない事ばかりですが、今後も職員の皆さんやご利用者様に「ハートフルサンクを選んでよかった!」と思ってもらえるように頑張っていきます!
皆様に「楽しさ」と「面白さ」を!
株式会社ハートフルサンク
執行役員
青海 亮兵
ハートフルサンク 執行役員の青海です。
私は、大学で4年間、韓国語をしっかり学び(結果は韓流ファンの方の方がしゃべれる)、その後、靴下メーカーの営業として社会に飛び込みました、靴下屋時代で誇れるのは、その当時の皇族の方の入学式の靴下を担当した事です。その後、知人からの紹介を受け介護の世界に転職しました。日々私が感じるのは、介護・福祉・医療等の保険制度で利用できるサービスはもちろん公金を使用していますので、在宅生活に必要な最重要=最低限のサービスです。ですので余暇いわゆる「面白さ」はあまり無いように感じてます。もちろん一人一人の対話で得られる楽しさなんかはあるかとは思いますが、サービス自体が行列の出来る面白いサービスでは無いように考えます。「面白い」はエンターテイメントだけではなく、やりがいや、達成感等色んな物があると思いますので、高杉晋作さんの「おもしろきこともなき世をおもしろく」の詩を胸に、ご利用者様、職員の皆様、一人一人がハートフルを選んで、「本当に毎日が面白いわ!」と言って頂ける様に、日々、励まさせていただきます。
暖かみのあるデイサービスを目指します
エクセレントケア
理事・業務統括
工位 綾
ご挨拶)
エクセレントケア 理事兼理事長補佐の工位です。
ご縁会ってエクセレントケアと関わることになり、スタッフやご利用者様の暖かさに触れさせてもらう事ができ感謝しています。
エクセレントケアの人情味あふれるスタッフが今後もいきいきと仕事が出来るように支えていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。
できる事は何でもチャレンジすることを心がけて仕事に励んでいます‼
エクセレントケア 施設長
ハートフルサンク訪問看護ステーション 平野 サテライト長
沼田 拓也
〈自己紹介〉
①出身地・出身校
大阪生まれ 桜宮高校・大阪医療福祉専門学校
②生年月日
1993年10月26日 さそり座
③職業
理学療法士
④趣味
三度の飯より野球(毎週末 草野球してます)
小学生から野球を続けており、子どもの頃の夢はプロ野球選手でした。
その夢を追いかけ、公立高校では強豪校の分類に入る桜宮高校に入学し、毎日野球漬けの日々でした。
私が現在の職業 理学療法士を目指すきっかけになったのがその高校でトレーナーをやっていた方に憧れ、身体の事をもっと知りたいと思い、理学療法士の専門学校へ進学を決意したのが始まりでした。
最初はスポーツ分野で働きたいと思い、理学療法士を目指しましたが学生時代の臨床実習や病院へ就職し、実務をしていくうえで多くの高齢者との関わりその人たちが家に帰った後どう過ごしているのか問題はないのか等興味を持ちました。
特に安全に家の中で過ごす・社会活動を行う上で何が必要となっていくのか等リハビリのことだけではなく、福祉用具・住宅改修・介護など多方面から見ることができないだろうかと思い、転職先を探していた時にこの会社の事を知り、入職決めました。
最後まで家で過ごすことをモットーにできる事は何でもチャレンジすることを心がけて仕事に励んでいます。
今までで一番印象にあるのは末期がんの患者さんが余命数日とわかり、最後は家で見てあげたいと家族の希望を聞き、即日自社内のケアマネが介護申請を行い、福祉用具、訪問看護、訪問介護が連携し、ベッド等退院前準備ができ、翌日に退院し、最後に家で家族と過ごすことができ、家族さんからすごく喜ばれたことが一番印象に残っています。
これからも利用者・その家族からも感謝されるようなサービスを提供し続けて行こうと思っております。
以上自己紹介でした!最後まで読んで頂きありがとうございます!!!