【大阪市平野区】エクセレントケア

自分のレベルに合った「枠」と言うのを考える事

エクセレントケア専属クリエイターのMです。
知的障害を始め発達障害、その他複数障害、精神疾患、難病を持っています。
まず初めにこれは障害者の人を否定している訳では無く、
「障害者枠は甘えになるから障害者枠には行きたくない・行かせない」と主張している障害者の人・又は障害者の親御さんがいたとしても、
特に障害が重い人・障害がきつい人が一般枠に行く事は無理なのです。
自分の状態を考えないで無理に一般枠に行って皆さんにご迷惑お掛けしてしまう方が甘えだと私は思います。
障害者枠は生きづらさを抱える人達同士が集まっていろんな土台を作って行き、
そこから生活の基盤も働く場所・居場所等の基盤も作って行く物だと感じています。
又は生きづらさを抱える分だけ配慮もして頂けて、
障害者枠だからこそ得れるものは沢山あると思います。
自分の障害が判明したのは20歳。
それ迄無理に一般枠で集団生活も日常生活も就活も行わないといけない状態でした。
当然自分の特性等分かって貰える訳も無くその場で淘汰されてしまっては、
自分がトラブルメイカーとしてトラブルが絶えなくなり、
就活しても就職してはあっさり解雇されてしまってを繰り返してしまい、
まさに地獄の様な日々で自分の居場所等ありませんでした。
又道を歩けば面白半分で絡まれる、笑い者にされる、ヒソヒソ話をされる様な現実でした。
障害が判明して20代前半で今の社会福祉がとても充実している地域に逃げる様に引っ越して来ました。
越して来てから最初は障害者の人中心が入居するグループマンションで数年間暮らし、
その後障害者ケアホームに入居して現在に至ります。
障害者グループマンションではPCも必死に覚えた。
料理も必死に覚えた。
自然と同じ障害者の友達も沢山出来た。
気が付けば日常生活も集団生活等もきちんと障害者枠に移したらある程度発展して行きました。
実は私は子供の頃からサブカルに強い憧れを抱いていて、
中学卒業後に僅か15歳で田舎を離れて大阪市に上阪して来ました。
一般枠では芽生えなかったけど、
障害者枠ではある程度発展して行ったんだから、
夢を叶えるのも障害者枠で別ルートで夢を紡いで行ったら良い。
人は誰でも自分のレベルと状態に合った枠で活躍しなければなりません。
そうで無いと羽ばたく筈の羽も羽ばたきません。
これからも私は障害者枠で活躍して行き、
芽をこれからもどんどん伸ばして行きたいです。

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