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【クリエイターMの経験談】病弱だった祖母のお手伝いをしていた日々 実は私は半分ヤングケアラーでした 今の様に福祉制度が未だ十分に整っていなかった時代 今現在は福祉システムが整って来た有難い時代 Mが泉北に居た頃のお話 高齢者福祉システム

エクセレントケア専属クリエイターのMです。

 

先ず初めに高齢者福祉システムが整って来たのも21世紀入ってから、

私達障害者の法律が施行されて行ったのも2000年代に突入してからなので、

私達が子供の頃も高齢者・障がい者はもっと生きづらさを抱えて生きて行かなければなりませんでした。

因みにM1985年(昭和60年)生まれです。

 

話は私の子供時代に遡ります。

大都会の大阪市港区で幼少期を過ごし、

更に家庭の事情で中堅都心部の大阪堺市の堺東に引っ越し、

私が5歳の時に泉北で暮らしていた母親方の祖母が病弱になってしまい、

そこそこ設備も整った都会暮らしから一転して、

私達家族は当時未だ環境が十分整っていなかった泉北へ引っ越しして田舎生活送る事になりました。

田舎暮らしは退屈で仕方が無かったです。

でも当時は今の様に高齢者福祉システムが十分に整っていなくて、

家族が年老いたら家族が介護しなければならなかったのは、

ほぼ当たり前でした。

 

だから私達家族は祖母宅の近郊エリアに住んで看病しなければなりませんでした。

愚痴で無くても「こんな事があって田舎暮らししなければならなかった」とでも話すもんなら、

「おばあちゃんが病弱だったから仕方が無いやろ!!」と自分が叱責される始末でした。

ほぼ毎日祖母の家に遊びに行くがてら、

祖母のお手伝いも行いました。

 

中には私が小6の頃に、

祖母が行きたいと言っていた某女性演歌歌手のコンサートに付き添った事もありました。

6でその演歌歌手さんのコンサートに行ったと言うだけで、

指差されて笑われてしまった事もありましたが、

当時は高齢者・障がい者のお出掛け支援サービスもあまり無かったので、

当時はやむ負えない事情でした。

 

21世紀に入り令和時代に入った今は、

高齢者・障がい者もとても生きやすい時代になり、

社会福祉制度も福祉システムもとても充実して来て、

有難い時代でした。

 

今の私は大人になってから複数の障害が判明して、

難病にも精神疾患にも罹患してしまったので、

人様の介護は出来ません。

でもクリエイターとしてですが、

別の形で福祉に携わらせて頂いておりますので、

私に何か出来る事があれば私達子供の頃も含めて、

弱者が生きづらい様な世の中を少しでも解決出来ればなと思います

 

2000年代に突入してからですが、

私が子供時代を過ごした泉北に弊社が設立されました、

そのご縁もあってか2022年に弊社に就職させて頂きました。

弊社ではいつでも高齢者介護・障がい者支援のお悩みを受け付けております。

一人でお悩みになられないで先ずはお電話下さい。

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