エクセレントケア専属クリエイターのMです
先ず初めに人は誰でも育てて行けば芽生える何かを持っています。
その芽生える何かは人それぞれ形は違います。
努力する場所だって人それぞれ違います。
「健常者は物凄く努力していて、障害者は努力が足りない」と考える人が残念ながら存在しています。
健常者の方と障害者の方は要領やスペック、身体や頭脳の造り等が違うので、
障害者の方はどうしてもトータル面でタブー視されてしまいます。
だけど障害者の方で形や場所等は違っても、
例え人より能力が著しい人でも人より努力を惜しまない人は沢山居ます。
私は言語障害や学習障害含めて複数の知能障害を持っています。
会話をしても会話にならない、
学習に励んでも学習にならずに言葉も人より知らない。
それでも自分なりに発声練習してみたり、
ノート拵えて一個一個言葉をメモして研究してみたりもしました。
いろんな本やネット記事を読み漁って1つ1つ言葉・会話のあや・シチュエーションを研究したりもしました。
元から好きだった英語を自分で勉強してみて、
外国の方や英語出来る方を相手に英会話として実践したりもしてみました。
例え自分は一人前のレベルには至れてなかったとしても、
「それでも努力して来たんやね」と言うお言葉頂いた時はとても感激しました。
何せ自分は通常の人より上達ペースも非常に遅く、
外見も持って生まれた障害の特性が表れてしまってるので、
「醜い上に努力出来ない人間」と誤解を受けて非難されてしまった事だってあります。
よく考えればそんな心の乏しい只のルッキズムな人の無意味な攻撃を真に受けるのはあまりにもナンセンスです。
そんな人は此方の普段の様子を見た事が無いから想像だけで非難するのです。
因みに当方例え容姿にタブーを抱えていたとしても、
メイクの研究をしてみて実践してみたり、
自分に合ったスキンケア含めて美容の研究してみたり、
健康・美容の為にも飲酒に喫煙は一切行わない等、
他の人に伝わらなくても自分磨きも実践しているつもりです。
幾ら非難されたとしても人より形も違っても、
きちんと自分に適した努力をする事がとても大切です。
自分のレベル・限界をきちんと把握する事だって努力です。
努力して実が結べなかったとしても「自分の努力が足りなかった」と追い込む必要もありません。
その時は「やり方や道を間違っていたか、未だ自分はそれをやるレベルでは無かった」とそう考えれば、
心を切り替える事を出来て正しい努力のやり方を模索出来る様な良い機会を得られます。
人は努力は勿論とても大切ですが、
私が考えるもっと大切な事は「行動」だと考えています。
実際行動に移してから実際何が足りなかったか補って行く事も大切な努力だと思います。
最後に全人類に無理に好かれようとするのは立派なナンセンスです。
全人類の考えは千差万別なので全ての考えに自分の考えを当て嵌めれるのも絶対不可なのです。
特に自分は特別だと思い込み、
他者を攻撃して自分のモチベーションを上げようとする様な人達に無理に縋り、
その人達に無理に好かれ様とするのも立派な無駄な努力です。
そんな人達との関りを今すぐ断ち切って下さい。
「頑張れ」と言葉の安売りをするつもりはありません。
皆さんも自分に適した努力を見出して下さい。
形は違っても時間が幾ら掛かっても、
必ず評価して下さる方は現れます。