【大阪市平野区】エクセレントケア

「変人奇人」と呼ばないで…今は生きづらさを抱えていても「個性」となる時代

エクセレントケア専属クリエイターのMです。

 

又又私の生い立ちの話になってしまいますが、

暫しお付き合い下されば幸いです。

 

今は障害お持ちの方、難病お持ちの方、性的少数者(LGBTs)と呼ばれる方等、

昔は「障害持っていたら」「性的少数者だったら」等と言うだけでとても白眼視を受けてしまった時代はありました。

でも今は当事者さん達が声を上げて活動・運動して行かれたお陰もあり認知されて行きました。

今は障がい者の何か活動も「バリアフリー〇〇」と呼ばれる様になりました。

 

私達子供時代はその「LGBTs」と言う言葉も「バリアフリー〇〇」と言う言葉は影も形もありませんでした。

昔は生きづらさを抱える当事者達は影の世界でこそこそと生きなければなりませんでした。

 

長くなりますが自分の生い立ちについてお話させて頂きます。

障がい者手帳が下りたのは20歳の頃でしたが、

障がい者手帳が下りる迄自分の障害が判明せず只周囲からは「変人奇人」として後ろ指を指され続けました。

元はバンドマンになりたくて地元から大都会の大阪市へ上阪して来ました。

でも地元では、

最初は周囲に内緒で文化活動行うつもりでしたが、

不運にもその情報を口外されてしまった事から「変人奇人が活動なんかしようとするなんて…」と面白おかしく受け止められ、

その情報は地元でたちまち広がってしまい道を歩けば絡まれる様に笑い者にされてしまう日々でした。

※今そんな事があったら立派な個人情報漏洩です。

当時は今現在みたいに個人情報の法律ありませんでした。

今はその「変人奇人が活動なんかしようとするなんて…」と不快に思われたとしても、

現在はネット媒体で誰でも活動出来る時代はやって来ました。

今は自分の障害も本名も公にカミングアウトしてネット活動しております。

又何かを隠して自分の個人情報をおもちゃにされたらどうしようも無いからです。

 

今はいろんなネット活動しております。

そしてカミングアウトしている以上他に生きづらさを抱える人達にとっても活動を通して勇気を与えたいです。

自分も生きづらさを抱える当事者です。

 

そして私もLGBTsの可能性も高いです。

「両性類」と言うやつで本体の性別は女性ですが一つの身体に男性の心と女性の心が存在しています。

20歳過ぎてから心身女性化しましたが、

昔は心は男性寄りでした。

自分が女性である事を拒否して無理に男の子と同じ様な領域になろうとした時期もありました。

当時はLGBTs当事者に未だ理解の薄い時代でしたので、

当然周囲には理解もして頂ける訳も無くその場その場で淘汰されてしまう様な現状でした。

中にはそれを詰る様な当てつけによる嫌がらせ行為を受けた事もありました。

 

今はそんな事があったら当事者虐待です。

今は生きづらさを抱えていてもそれをオープンにして堂々と生きていける時代はやって来ました。

今は日本では完全では無くても「同性婚」と言うものも認知して頂ける時代になりました。

本当に同性の人を好きになろうが異性の人を好きになろうが個人の自由な時代にもなりました。

昔みたいにこそこそ隠して行くのはもうナンセンスです。

今はもうそんな時代は終わりました。

これからもどんどんと何か生きづらさを抱える事をカミングアウトして、

同じ悩みを抱える人達にとっても勇気を与えれる様な存在にもなれたらとても素敵な事ですね。

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