エクセレントケア専属クリエイターのMです。
私は趣味の関係もありハイクオリティなものを沢山見聞きして心の中に吸収して来ました。
例えば頬が落ちる程のハイクオリティな料理、
感動する程ハイクオリティな音楽グループの演奏やライヴ、
一生脳裏に焼き付く程の絶景なる景色や植物(でも未だ海外には行った事ありません)、
着るだけで価値のあるハイクオリティなデザインの衣服、
足踏み入れるだけで価値のあるハイクオリティな場所 等。
※私は金持ちお嬢様でも何でもありません。
その中でそんな私に欠点があります。
それはハイクオリティなものを沢山知り過ぎて身近なもので満足出来なくなっている所です。
市販の食べ物を口に出来ない等そんな事ではありません。
目で見るもの(視覚)や耳で聴くもの(聴覚)全てにおいて、
レベルによってそのもののクオリティをついつい重視してすぐに質を求めてしまいます。
自分は優秀でも何でも無いし、
大きな結果を残した人間でも何でもありません。
只でさえ生きづらさを抱える身分なのに、
心が贅沢一身に染まってしまったら余計に生きづらさを抱えなければなりません。
私は基本的夢想家ですが現実主義者でもありますし倹約家でもあります。
好きな事の為に日頃から倹約する所は自分なりに倹約を心掛けていて、
お金がどうしても掛かってしまう事は現実を受け止めて自分なりに妥協する所は妥協しているつもりです。
又身近で今の自分にあるもの、自分の身分・収入相応のもので我慢して妥協して行く練習も自分なりに行っているつもりです。
要は贅沢ばかり言ったらきりが無くなって負のループが続いて行ってしまいます。
お金も続かなくなってしまいます。
見栄張る事は好みませんが常にハイクオリティなものを追求し続ければ見栄張ってしまうのも同然です。
この世界には幾多の人々が貧困に喘いでいます。
この日本にも満足な生活送れない人は沢山居ます。
恵まれている人はこの世界の統計で10%にも満ちません。
その中でハイクオリティばかりを求めるだとか贅沢ばかり言うのは恵まれない人達に失礼です。
私達は恩恵を受けて日々生きて行ける事に感謝しなければなりませんし、
身近にあるもの全て「あって当たり前」ではありません。
「ある事に感謝」と有難みを嚙み締めなければなりません。